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池袋に重要文化財があるのだ

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池袋というと猥雑な雰囲気のイメージがあるが、そうでもない地域もある。
メトロポリタンホテルから目白側にいったあたりは落ち着いた住宅街。
ここに重要文化財の建物が残っている。自由学園明日館(みょうにちかん)だ。
フランク・ロイド・ライトが設計した建物がきちんと保存、公開されている。
2011年の大震災のあと、耐震工事をするため講堂は閉まっていたものの、最近再公開された。
新築工事よりも時間がかかるのは仕方がない。
見た目は変えることができないからだ。
古いものは壊して、新しく建て直したほうがお金もかからないし、時間もかからない。
だが、残すべきものは残すべしということ。

校舎部分も、ライトの設計がそのまま残っていて、とても素敵。
明り取りの窓、椅子、電燈など、ピーダーマイヤーにちょっと似ているかな、と感じた。

今、講堂で手塚治虫文化賞 受賞作品パネル展をやっている。
有名な漫画家が描いたパネルが展示されていて、個人使用ならば写真撮影も可、しかも入場無料という太っ腹企画だ。
8月20日(日)12:00までで、19日(土)は休みなので、行きたい方は日程に気を付けるべし。


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ヨコハマたそがれ

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ずいぶん久しぶりに横浜に行ってきた。
新幹線では、新横浜はしょっちゅう通過しているのだが、新横浜に着くと名古屋方面に向かうときは「もう乗り込んでくる人もいないし、そろそろビールの栓を開けるか」と思い、東京方面に向かうときは「車内でお手洗いに行っておいたほうがいいかな」と思う。私にとっての横浜はそんな位置。申し訳ございません。

私が今回用事があったのは、大さん橋。国際船が発着するターミナルだ。
昨今、クルーズ旅行が人気で、外国人観光客も多数、船で日本を旅行している。
私は、これはいいアイディアだと思う。日本は、ぐるりを海に取り囲まれているし、船に宿泊することもできる。残念ながら、特に地方のホテル事情はそれほどでもないので、これはいいと思う。
私が横浜に行った日も、飛鳥Ⅱが停泊していた。

私は、某セミナーに出席していて、空き時間はさん橋のベンチで本を読んでいた。
まわりの人は、リタイヤした年代の方が多く旅支度をしている。
どうやら飛鳥Ⅱに乗って青森まで行くらしい。素敵な時間の使い方だと思うが、リタイヤしてからではなくても、気軽に船旅ができるようになるといいと思う。
私は、空港の展望デッキが好きで、空港で時間があると離陸する飛行機をよく眺めているのだが、船もいいものだ。

飛鳥Ⅱを見送って、しばらくしたら日が黄昏てきた。

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幽玄の世界は若干眠かった

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銀座にオープンした商業施設、GINZA SIXの中に観世流の能楽堂がある。
一度は見ておきたいと先日行ってきた。

私の大学院のときの恩師のひとりの研究テーマが泉鏡花で、私の専門は古典ではあったものの授業はとっていた。ゼミ形式で、なかなかキツイ授業だった。泉鏡花は、能楽師の家系につながっていて、その作品は能を知らなければ理解できないところがあった。だから、私にとって能は、ちょっとキツイ。

だが、新品の能楽堂の誘惑には勝てず、銀座までいそいそ出かけた。
立派な舞台が、日があたらない地下にあるというのも変な気がしないでもないが、泉鏡花の描く「魔界」を思い浮かべたら、地下こそがふさわしいような気もする。幽玄の世界だ。

ところで、実際の能は、若干眠りを誘うものであった。
観客は、暑いのに着物を着ているようなマダムや、意識が高そうな人生の先輩方。だが、先輩方も、ウトウトしていらっしゃるし、上能中にもかかわらず、ときどきボソッと感想を声を出してお述べになったり、なかなか自由な雰囲気ではあった。

それでもやはり、所作のひとつひとつが美しく、どこを切り取っても絵になる。ときどき、ウトウトしながら舞台を見ると美しい。贅沢な時間だった。


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銀座の雨漏り物件はカプセル

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新橋・銀座付近の首都高からチラリと見えるアバンギャルドな建物。
この丸窓がついた立方体がくっついているという不思議な建物は、中銀(なかぎん)カプセルタワービル。
日本よりも外国でよく知られているそうで、ヘンテコな形をしている。
ここは、分譲マンションならぬ分譲カプセル。カブセルひとつひとつにオーナーがいるわけで、それぞれ内部は独自に改装しているらしい。ここは、ホテルでも公共のものでもないので、基本的に見学は不可。だが、ツアーをやっている方がいる情報をGETして、内部を見せてもらうことができた。

古い資料だと、民泊をしているオーナーもいたようだが、現在は苦情がきたためやっていないとのこと。泊まったとしても、お湯はでないのでお風呂が困るし、雨漏りもするそうだ。
1972年に竣工されてから、まだ全体の改修工事がなされていないとのことで、当時はモダンだったセントラルヒーティングもとっくにぶっ壊れている。

ただし、デザインはかっこいい。黒川紀章の設計で、カプセルは茶室をイメージしたそう。茶室というより、ドラム式の洗濯機という感じだが。内部は本当に狭いが、心地よい狭さという感じ。
案外、私はここで暮らせるかもしれない。ただ、たいへんだろうなぁ、いろいろ。
分譲ということで、多数のオーナーのOKがないと改装もできないし、建て替えもできない。
建て替えとなったら、今のアバンギャルドな建物はなくなってしまう。
芸術を後世に残すというのもたいへんだ。

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性のはざまで

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つい最近、ウィーンに行ってきたのだが、滞在中たまたま「ライフバル」という催しがあった。HIV関係のチャリティのイベントだ。
この日は、会場となる市庁舎前を通る路面電車は午後4時で終了、がっつり交通規制がひかれた。また、昨今の事情によるのだろうが、警備の警察官の数も多いような気がした。

チケットはなかなか高価で、私はホテルのテレビでライフバルの中継を観た。日本でも、すっかり有名になったコンチータ・ヴルストが司会をしていた。この人は、ウィーン市観光局の案内ビデオにもでていて、後姿のなんとエレガントなこと。LGBTの星のような人だ。

客席にいたスイスからやってきた男性カップルが、司会者によって舞台にあげられ、キスをしたかと思うと婚約指輪のプレゼント。会場は、拍手と歓声。

オーストリアは、カトリックが多いとはいえLGBTに寛容というか、常にそのあたりにいるので特別の存在ではない。他人のことなので、どうでもいいし、そもそも昔から外国人が入ってきているのだし、いろいろな人がいるのは当然でしょうというスタンスだ。

ところで、ウィーンの歩行者用の信号機が可愛らしくなっている。ベルリンのアンペルマンを意識したのかは知らないが。
男女が仲よく歩道を渡る絵柄のものもあるのだが、よく見ると他にも種類がある。
男性カップルの信号機もあり、なぜカップルかとわかるのかというと、ふたりの間にハートマークがついているのだ。そして、男性ばかりではいけないだろうとのことで、女性カップルのバージョンもある。
私としては、どうでもいいのだが、ウィーンに行ったら信号機をよく見てみると面白いと思う。
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男性カップルのバージョン

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女性カップルのバージョン




サラエヴォのホテル

『サラエヴォの銃声』という映画を観た。
サラエヴォの“ホテル・ヨーロッパ”を舞台にして、サラエヴォの歴史と現在の問題を浮き彫りするという映画だ。
サラエヴォのバシチャルシァ地区にホテル・ヨーロッパは実在するが、映画にでてきたホテルはフィクションだろう。ホテル・ヨーロッパは紛争時に爆撃を受けて、ようやくリノベーションしたばかりだ。映画ではリネン室で働く女性が30年働いていると言っているが、その間ホテルは営業していなかったはず。

ホテルの屋上では、女性ジャーナリストがサラエヴォ事件や紛争についてインタビューをしている。
サラエヴォ事件とは、1914年オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルディナントがその妻と共に暗殺され、それが第一次世界大戦の引き金となった案件だ。ボスニアでは暗殺者ガヴリロ・プリンツィプが英雄とされていた。
それに、ユーゴ紛争。サラエヴォは戦場となり、多くの犠牲者をだした。
ボスニア・ヘルツェゴビナに住む人々のアイデンティティにつっこむインタビューだ。
そのシーンを見ていて、今は紛争はおさまり平和に見えるが人々の奥底には各民族に対する恨みが根深いことを感じた。

以前私はクロアチア語をクロアチア女性に習っていた。クロアチア語とチェコ語は共通するところも多く、クロアチア語でわからないところは適当にチェコ語で言うと、なんとなく通じるので便利だった。
あるとき、私は「パン」のことを「フレバ」と発音した。チェコ語では、パンのことをそういうので、思わずそう言ったのだが、先生はさっと顔色を変えて「どこで、習ったの!」
なんとセルビア語でも、パンのことはフレバというのだとか。私はチェコ語で言ったのだが、偶然セルビア語でもあったわけだ。クロアチア語ではクルフというので発音は異なる。
普段は朗らかな先生がそんなことをいうなんてびっくりしたが、心の奥底では日本人に理解できない思いがあるのだろう。

この映画を観て、そんなことを思い出した。
私の過去のサラエヴォの記事は、ここここにあります。




安くていいものは?

2017年3月27日に破産手続きを開始した「てるみくらぶ」。
ニュースをきいて初めてその名前を知ったという人も多いだろう。格安ツアー愛好者には、とても有名な会社だ。
金曜に航空券が発券できないという一報をきいて、私の正直な感想は「あの会社なら仕方がない」。

仕方がないにせよ、被害にあった方は日本旅行業協会(JATA)にコンタクトしてほしい。
JATAでは専用のページをつくっている。 ここに、旅行パンフレット、旅行申込書、請求書、メールの記録等の関係書類は保管しておいてください、とも書かれているとおり、あらゆる証拠はとっておいてほしい。

よく言われるのが、そんなにヤバイ会社ならば先に教えてくれたら、というもの。
不可能。
同業者ならばヤバイ会社はわかっているものの、実名をだしたら訴訟モノである。
だが、落ち着いて考えてほしい。
スーパーで食品を買う時、産地を確かめたり、メーカーを確かめたりしませんか? そして、あまりにも安いと疑いませんか?
旅行商品もそれと同じ。
安くていいものなんて、存在しない。

ホテルや航空券は仕入れ値がある。もちろんホテルや航空会社が自社の損になるような値段で卸すわけがない。そこで、何が削られてあの価格になっているか、ちょっと考えてほしい。
いいものは、それなりの値段。安心安全は金で買うものだ。

てるみくらぶ以外にも、ヤバイ旅行会社はある。
それは、安くていいものなんて存在しないと思ってみると自然に区別できると思う。
また、旅行屋は職人的なところがあって、担当者によって当たりはずれがある。大手の旅行会社でも、はずれが結構いるので要注意。
逆に当たりがいたら、ラッキーだ。当たりを探すには、いろいろ質問してみること。要望にあった商品が売り切れの場合でも代替のものを提案してくれるか、ネガティブなことも説明してくれるか、そんなところをチェックしてほしい。


キューバの日系人

『108年の幸せな孤独 キューバ最後の日本人移民、島津三一郎』を読み終えた。
去年7月に亡くなったキューバ最後の日本人移民1世、島津三一郎さんを中心としたキューバの日系人を追ったドキュメンタリーだ。

恥ずかしながら、私はキューバの移民について全く知らなかった。
アメリカやメキシコ、ブラジルの日系移民は有名で、特に私が育った愛知は、ブラジル移民2世がたくさんいて身近だった。だが、キューバについては無知だった。

第二次世界大戦中、アメリカで日系移民が収容所に送られたが、キューバでもそうだったという。
『108年の幸せな孤独 キューバ最後の日本人移民、島津三一郎』の筆者は、島津さんにそのころの話をしてもらおうとするが拒否される。そこで、他の日系移民の2世から話をきく。2世は、当時は子どもで、父親が両脇を兵士に抱えられて収容所に送られる後ろ姿を見たという。

島津さんたち日系1世がキューバに渡ってきたのは、貧しくキューバで一旗揚げるためだった。だが、うまくはいかない。痩せ細った体で収容所から出て、平穏な時代があったものの、次はキューバ革命。
逞しいというよりも、生きなくてはいけなかった。

そして、私が驚いたのは日系2世の中にキューバ革命の戦士がいたこと。
明らかに顔つきがキューバ人と異なる彼に、チェ・ゲバラも気づいて話かけたとか。

昨年年末、ハバナで現地ツアーにのったとき、ガイド氏がプラネタリウムやJICAの援助で修復された建物の説明をし、「キューバと日本は、昔から縁があるのです」と言った。ツアーには、アメリカ人やスウェーデン人の参加者もいたので、キューバと日本の関係の話はそれでおしまいだったのだが、ガイド氏は日系移民のことを言っていたのかもしれない。


108年の幸せな孤独 キューバ最後の日本人移民、島津三一郎

108年の幸せな孤独 キューバ最後の日本人移民、島津三一郎

  • 作者: 中野 健太
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2017/01/25
  • メディア: 単行本



スラヴ叙事詩を東京で

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ずいぶん前から、来る来ると言っていてなかなか来なかった「スラヴ叙事詩」だが、ようやくやってきた。
10年ほど前に見て大感激し、もう一度見たいとずっと思っていた。

国立新美術館の「ミュシャ展」は、やはり混雑していた。
だが、作品が巨大なので人の頭で見えないということはない。
ひどい展示方法だったらどうしようと思ったが、きちんと展示してくれている。ふだんプラハのヴェレトゥルジュニー宮殿に展示されているが、一昨年「スラヴ叙事詩」の展示室の壁が崩れて、一時閉鎖された。幸いにも、作品にキズはつかなかったのだが、不届き千万である。

私は、以前モラフスキー・クルムロフ城で「スラヴ叙事詩」を見た。プラハに移される前は、モラビアのこのボロボロの城にあったのだ。交通の便が悪い田舎にあるためか、「スラヴ叙事詩」の展示室は私ひとりで貸切状態。今思うと、なんて贅沢な時間だったのだろうと思う。
ミュシャの生家があるイヴァンチッツェという村も近くあって、ここに小さなミュシャのミュージアムがある。この村は「スラヴ叙事詩」にも描かれている。

ミュシャはカラフルなポスターで有名だが、本当に描きたかったものは「スラヴ叙事詩」のような作品だったらしい。虐げられた民族、スラブ民族の誇りを歌い上げる作品だ。
「スラヴ叙事詩」は、プラハからピルゼン方面へ向かう途中にあるズビロフ城で描かれた。
城のテラスから見える風景が、「スラヴ叙事詩」に描かれているという。
今回、あらためて「スラヴ叙事詩」を見て、建物内部を描いたものは別とし、ズビロフの風景だということを確信した。
ズビロフ城には、珍しいミュシャのフレスコ画が残っていて、それもフリーメーソンの一員としての自画像。

「スラヴ叙事詩」は、チェコをはじめ、スラブ圏の歴史を知らないとよくわからないかもしれない。
だが、絵の迫力は伝わるので、これをきっかけにスラブ圏のファンが増えてくれるといいと思う。


ベルリンの壁とキューバ

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私がキューバで感じたのは、旧東欧に似ている、ということ。
ベルリンの壁が崩れて今年で26年だが、あのときの影の立役者はヨハネ・パウロ二世だった。
ポーランド出身の法王の尽力なしには、ベルリンの壁は崩れなかった。

そして、キューバ。アメリカとキューバの橋渡しをしたのは、法王フランシスコ。
法王フランシスコはアルゼンチン出身。チェ・ゲバラもアルゼンチン生まれだ。
私は、ヨハネ・パウロ二世とフランシスコの働きに敬意を表する。
東欧とキューバ、変化のきっかけには共にローマ法王が関係している。

また、車。
キューバは、いわずとしれたアメリカのクラシックカーが有名な国。
観光用にピカピカにしてある車ももちろんあるが、それよりもボロボロで、なんとかメンテナンスして走らせている、燃費も凄ぶる悪い、そんな感じだ。

かつて東欧では、東ドイツのトラバントがよく走っていた。これがまたスピードがでないので、追い越しがかけられないところで前につかれるとやっかいだった。私は、よくメルセデスベンツのバスに乗っていて、トラバントをみると溜息がでたものだ。
ところが今は、トラバントは観光用に残っているくらいだ。ドイツ車や日本車が旧東欧の高速道路をさっそうと走っている。

そのうちキューバも旧東欧のように、クラシックのアメ車は観光用に、普段の車はドイツ車か日本車になるのでは。
今は、同じ社会主義国ということで、キューバでは中国車、ロシア車が走っているが、国民の所得があがると変わってゆくと思う。

また数年後、キューバを再訪してみたい。

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